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第2話 予兆

 翌朝、星崎工業所の玄関口で、夕子は一人の女子社員とぶつかりそうになった。
 女子社員の遅刻は明白だった。
 相手が社長の夕子とわかり、慌てて「すみません」と駆け出す女子行員を、夕子は呼び止めた。
 すごすごと戻って来る女子社員。
「あなた、設計課の山野晴夏さんね」
 夕子は、全社員百二十名の顔と名前を熟知していた。
「はい。申し訳ありませんでした」
 殊勝な態度を見せる晴夏だが、遅刻が初めてでないことは出勤簿で把握していた。
 晴夏の服装はミニスカートに胸の大きく開いたTシャツ。その上にブルゾンを羽織り、前のファスナーは全開だった。
 スカートの丈は膝上二十センチ以上。昨日の夕子より、明らかに短かった。
「弛んでいるようね。その服、昨日と同じじゃないかしら」
 昨日と同じ、と言うのは当て推量だったが、
「そこまでわかっちゃうんですかぁ」悪びれることなく朝帰りを認める晴夏。「でも、ごめんなさい。早く着替えて仕事に付かなきゃ」
 開き直りとも見える態度が夕子の癇に障った。
「着替えなくていいわ。あなたには廊下の雑巾がけをして頂くから」
「そんなぁ……」
「そんな、じゃありません。すぐに始めなさい」
 夕子は、晴夏の右手首を掴むと近くの女子トイレまで連れて行った。用具入れから取り出した雑巾を晴夏に手渡し、自分の手で直接廊下の雑巾掛けをするように指示した。モップを使ったのでは罰にならないと。
「ええー。それじゃあ、パンツ見えちゃう」
 両手でスカートの裾を押えながらも、反省の色が見えない晴夏。
「職場にそんな短いスカートを履いて来るからです。覚悟してやりなさい」
 夕子はきっぱりと言い切った。
 不承不承、雑巾がけを始める晴夏。両手を床に付け、お尻を高く上げて廊下を拭く。長い脚が持ち上げたスカートは、予想した通り、晴夏の下着を見え隠れさせていた。
「見えちゃう」と言っていた晴夏だが、特に気にしてもいないようだ。むしろ、わざと見せているのか。
 夕子は昨日の自分を思い出した。
 ノーパンで、スカート丈を膝上二十センチまで上げた。あの格好で前かがみになっていたら、生のお尻を繁華街に晒していたかもしれない。そう思うと、急に下腹部が疼いた。あの子はどこまで計算していたのだろうか。
「いつまでやるんですかぁ」
 晴夏が、夕子の足元まで戻って来ていた。
「私が良いと言うまでよ。何度でも往復していなさい」
「はーい」
 晴夏は、再びお尻を高くあげ、雑巾掛けを始めた。手抜きをしている様子もない。素直な一面もあるのかと安堵しつつ、夕子は社長室に向かった。
 夕子は、こうした罰を度々与えていた。
 仕事中に居眠りした社員に、一日中窓拭きをさせたこともあった。工場の周りを何週も走らせたこともあった。女子更衣室の中とは言え、さすがに下着姿でロッカー掃除をさせたのは行き過ぎだったかもしれないと、夕子自身思っていた。
 社長室に戻ると、追いかけるように専務の細井が入って来た。
 父親の代からの重鎮だ。幼い頃、遊んで貰った記憶もあった。夕子が社長に成りたての頃は「夕子ちゃん」と呼ばれていたものだが、いつの間にか「社長」に変っていた。
 夕子も信頼していた。
「いやあ、またやってますな」
 晴夏の雑巾掛けを言っているのだろう。細井はいつも、夕子のやることには好意的にみてくれていた。
「全く、困ったものだわ」
「さぞかし恨みを買っておられることでしょう。噂では、いつか同じ目に遭わせてやるとか申しているそうですよ」
 夕子が与える罰を時代遅れと揶揄する幹部社員もいた。実際の話、女子トイレで偶然、晴夏たちのグループが話しているのを聞いたことがある。

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「ハダカでロッカー掃除させるなんて、あの女、いつか必ずシメてやるわ」
「晴夏って元ヤンだったよね。どうやってシメるの」
「あたしらのグループではアソコの毛を剃って晒し者にしてたわ」
「やっちゃいなさいよ。ツルツルのお××こ、大公開って訳ね」
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 フっと息を漏らす夕子だったが、すぐに顔を戻す。細井がその件で来たとは思えない。
「それで、何かしら」
 察しは付いていた。
「山吉興業との資本提携ですが……」
 細井は以前から、この話に消極的だった。短期間ならやむを得ないが、できるだけ早い時期に資金の目処を立て、提携を解消すべきだと主張していた。最悪の場合、星崎工業所を乗っ取られかねないと。
「何か新しい情報でもあるのですか」
「はい。社長交代の話があります。現社長は先代との交流もあり、ある程度は信用にたる人物とみて良いでしょうが、次の社長次第では困ったことなる可能性も否定できません」
 それだけ山吉興業は、星崎工業所の財務に入り込んでいた。
「わかっているわ」
 そう。わかっている。
 だが、現状では他に打開策がないのだ。百二十人の社員と父から譲り受けた星崎工業所を守るためには、山吉興業からの資本提携に頼らざるを得なかった。
 特許を売って借金を帳消しにしても、新たな商品開発に成功しなければ、経営はジリ貧になりかねない。自社の技術について門前の小僧程度の知識しか持たない夕子には、非常に難しい判断だった。
「ご決断を」と言い残し、社長室を出て行こうとする細井。
 夕子はその背中に声を掛けた。
「細井さん、すみません。桑野さんに『もういいわ』と伝えて頂けますか」

        ◇

 社長室で、またあの子と二人きりになった。
「細井専務って、ホントに堅物って言うか、真面目な方ですよね。あれで人生、面白いのかしら」
 あの子の歯に衣を着せない言い方はいつも通りだったが、
「そうでもないわ。あれで結構、男≠ネのよね」
 夕子は先日、取引業者との会合の帰りに、偶然、細井の姿を見かけた。歓楽街の片隅をアラフォーと思しき女性と歩いていたのだ。年齢的に奥さんではない。夕子が気になって付いて行くと、二人でいかがわしいお店に入って行った。
「細井専務もやるものですねぇ」
「感心している場合ではないわ。セクシーキャットってお店、ネットで調べたらハプニングバーじゃない。細井さんのイメージが崩れちゃったわ」
 父親代わりとも思っていた男の正体が知れたのだ。本当ならもっとショックを受けていても良いところだが、夕子は口でいう程、細井を軽蔑したり、信用を失くしたりはしていなかった。むしろ親しみすら感じていた。
 ただ、相手の女性だけが気になった。もちろん見覚えはない。綺麗な人だったことは間違いないが。
 それよりも、今はあの子だ。
 昨日のことには、お互い、触れようとしない。路上で気を遣ってしまったこと、あの子が知らないのならそれで良いと夕子は思っていた。
「社長は、桑野さんにさせたこと、自分もさせられたいんじゃないですか」
 思いがけず、ドキっとする発言だったが、
「そんなわけないでしょ」
 書類に目を通しながら、平静を装う夕子。
「何なら、私が命令してあげましょうか」
 心臓が、もう一度高鳴った。
 あの子に本気で命令されたら、夕子はやるしかないだろう。
 他の社員に、晴夏たちにどうやって説明するか。夕子の脳裏には、下着姿でロッカー掃除をしている自分の姿が浮かんでいた。
「ウソですよ。社長の面目、丸つぶれですものねぇ」
「そ、そうよ。できるわけないわ」
「あれっ。でも今、やる気になっていませんでしたか?」
 夕子は顔を伏せた。頬が一瞬で熱くなっていたからだ。
 確かにやる気になっていた。
 それをあの子に言い当てられた。
 本当に、あの子には敵わない。いつかあの子に破滅させられるのではないか。夕子はふと、そんな予感に捉われた。
「ねえ。何で私を苛めるの」
 両手で頬を押え、夕子は顔を起こした。
「だって社長、苛められるの好きでしょ」
 そのように見えるのか。
 以前、飲み会の席で若い男性社員にも言われたことがある。程々にお酒も入って無礼講に突入した頃だ。

 ――社長には苛めてオーラ≠ェ見えているんですよ。

 酔った勢いと聞き流したが、調子に乗った男性社員・芦田弘治は、一度で良いから夕子を丸裸にして後ろ手に縛り上げ、社内を引き回してやりたい。それを夕子も望んでいる、と力説していた。
「いいぞ。やれ、やれ」と応援するヤジも上がっていた。
 そうした目で見られていることに、夕子は不思議と不快感を覚えていなかった。
(苛められたい訳ではないのに……)
 と言っても、あの子は聞いてくれないだろう。それどころか、
「昨日の続き、いつにしますか」
 臆面もなく言ってのけた。
「勘弁してよね。ものすごく恥ずかしかったんだから」
 本当に勘弁して欲しかった。下着を着けていないだけで、あれほどまで羞恥を掻きたてられるとは思ってもいなかった。そのせいで気を遣る程の性的興奮を覚えてしまう自分が怖かった。
「何言っているんですか。あれくらい序の口ですよ」
「それってどういう意味かしら」
「ノーブラ・ノーパンで人混みを歩くくらい、誰でもやっているということですよ」
 そんなバカな、と夕子は思った。
 だが、あの子は確信を持っていた。ネットには、その手の投稿が溢れている。ウソだと思うなら、例の小説が掲載されていたサイト・《露出っこクラブ》に行ってみれば良い、露出癖を持つ女性たちの告白が掲載されていると。
(誰でもって……)
 夕子はデスクのタブレットを手に取り、例の小説『私を辱める契約書を作ってください』を表示させた。
 あの子の言う通り、同サイトには体験談を投稿するコーナーがあった。
 ズラリと並んだタイトルの中から、否が応でも目に付いた。

〇Y子 ノーブラ・ノーパンで街中を歩きました。

(私と同じ体験をして女性がいるんだ)
 夕子は、そのタイトルをクリックしていた。

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後輩のA子からの命令でした。
夜の八時過ぎだったと思います。
学校の帰りに、A子と二人で少し離れた街まで歩き、そこで実行させられました。
駅前アーケードの路地裏で私服に着替えました。
下着を脱がされてました。
A子はブラウスのボタンもハメさせてくれません。
ブラウスの裾を胸のすぐに下で結んだだけでした。
お臍は丸出しでした。
スカートは元々がデニムのローライズミニです。
ノーパンでこの格好は恥ずかしいを通り越して危険領域です。
人前でこんなに肌を露出したことはありません。
でもA子は許してくれませんでした。
路地裏から人混みに出されました。
明らかに目立っていました。
通り過ぎる人たちが私のお臍に、胸元に、太腿に目を向けていきます。
口笛を吹く男の子がいました。
怖い目で睨みつけるおばさんもいました。
それらのひとつひとつが私を苦しめます。
恥ずかしさが募ります。
もうこんなの早く終わってって思っていたのに、
「Y子さん、濡れてるでしょ」
A子に言われました。
楽しくてしょうがないという目つきで私を見ています。
「恥ずかしいわ」
正直に答えました。
「その恥ずかしいのがいいんでしょ。太腿までお汁が垂れてますよ」
A子の言う通りでした。
私のアソコは濡れ濡れでした。
秘密の園から溢れだした蜜が、内股を伝って流れ出していました。
「こんなことって……」
こうなっては否定のしようがありません。
「Y子さんって、恥ずかしい目に遭うと感じてしまう性癖なんですね。それにしても、こんなに濡らして。こっちまで恥ずかしなってしまいます」
A子はイジワルです。
人前で恥ずかしい格好をさせただけでは気が済まず、言葉でも私を苛めるのです。
恥ずかしいのに、辛いのに、何で濡れてしまうのでしょう。
ノーブラの乳首がブラウスの裏側に擦れて変な感じです。
このまま歩き続けたらイッてしまうかもしれません。
「まさか、ここでイッたりしませんよね」
A子にもバレてしまいました。
「ああ、もう終わりにして」
そうじゃないと、ホントにイッてしまいます。
「ダメですよ。その格好で駅前まで歩く約束でしょ」
それはそうなのですが、駅に近づくにつれて人は益々多くなるばかりです。
こんなの恥ずかし過ぎます。
「もし途中でイッたりしたら、その場に置いていきますからね」
「ダ、ダメよ、そんな……」
「大丈夫です。Y子さんの下着は、ちゃんと持って行ってあけますから」
そういう問題ではありません。
このまま置いて行かれたら、私はこの格好で電車に乗らなければならなくなります。
痴漢が出ることで有名な路線なのに。
A子ならホントにやるでしょう。
絶対にイクことができなくなりました。
それなのに何てことでしょう。
私は想像してしまいました。
この格好で電車に乗った私は痴漢たちの絶好の餌食です。
あっと言う間に囲まれ、体中は触られまくります。
下着を着けていないと知れると痴漢たちは調子に乗り、ブラウスとスカートを脱がしにかかります。
全裸にされた私に抵抗のしようもありません。
乗客たちの視線に囲まれながら、凌辱の限りを尽くされるのです。
「あああぁ……」
イキそうでした。
「Y子さん、マジでイっちゃうんですか」
一生懸命、頭を振りました。
こんなところでイクわけにはいきません。
A子に置いて行かれたら、さっきの妄想が現実の物になってしまいます。
フラフラになりながら、何とかイかずに駅を目指しました。
必死で足を進める私でしたが、その一方で、
イってしまいたい。
この場に置き去りにされ、電車の中でハダカにされたい。
痴漢の餌食になってメチャクチャにされたい。
そんな思いが無かったと言えばウソになります。
幸か不幸か、イかずに駅に着くことができました。
トイレで下着を返して貰い、服装を直した私に、A子が言いました。
「Y子さんって破滅願望があるんですね」
A子には全部バレていたようです。
「またやりましょうね」というA子。
次はどうなるのか。
それを考えると、ホントに怖いです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 夕子には信じられなかった。
 例の小説も、小説の中だからこそ可能なのだと思っていた。そこまでとはいかなくても、それに近いことを実践している女の子がいるなんて。
(この子、高校生かしら)
 夕子は口惜しかった。自分も高校生の頃なら、もっと大胆になれたかもしれないと。
 今の夕子は社会的な地位もあり責任もある。人に見つかって立場を失うようなマネは容易にできない。
 夕子は十六歳で交通事故に遭い、三か月間の入院生活を強いられた。
 外傷は軽微だったものの頭を強く打ち、最初の一か月は意識も無かった。どこでどうして事故にあったのかさえ記憶に無い。覚えているのは、腫物に障るような周囲の態度と、両親の溺愛くらいか。結果として何もさせて貰えず、箱に入ったまま卒業式を迎えた。
 だからだろうか。高校生の頃に好きなことをしている少女が羨ましく思えた。
「このY子さんって、社長と気が合うんじゃないですか」
 あの子の言葉は虚を突かれる夕子。
「そ、そ、そんなことないわ。私は痴漢の餌食になんて」
「でも、ハダカにはされたいでしょ」
 あの子の追及に、言葉が返せなかった。
(なぜだろう。真実を突かれたから? でも、それじゃあ……)
 夕子は、衆人環視の中でハダカにされたいと望んでいることになる。
 そんなバカなと、夕子の動揺は激しかった。
 下着なしで繁華街を歩いただけであれほどまでの羞恥を味わったのだ。全裸なんてあり得ない。気が狂ってしまうに違いない。
 そうしているところへ細井が飛び込んで来た。ノックもそこそこだった。普段から冷静な細井にしては、かなり表情が険しかった。
「大変です。山吉興業の新しい社長がご挨拶にいらっしゃいました」
 夕子は、椅子から立ち上がった。
 大切な資本提携の相手だ。社長交代を告げられてはいたが、何のアポイントもない。まして今日来るとは、思ってもいなかった。
 夕子はタブレットを伏せ、一瞬にして社長モードへと切り替えた。
「すぐに皆を集めて。会議室にお通しして頂戴」
「は、はい。それが……」
「私、この格好で良いかしら」服装を気に掛ける夕子だが、と同時に細井の様子がおかしいのにも気づいた
「細井さん、何かあったのですか」
「それが……」
 一息置いてから、細井は告げた。
「新社長は、あの郷原憲三です」
 その名に、夕子の身体が硬直した。


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