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第1話 下着なしで


「今日の打ち合わせは、下着なしで行ってください」

 あの子からの命令だった。
「大切な打合せなのよ」
 星崎工業所では、水素吸蔵合金の新技術の開発に成功し、特許を出願。今まで水素自動車に消極的だったT自動車工業鰍ェ、この技術を買い取りたいと言って来たのだ。
「わかってますよ。資金繰り問題が一気に解決するんでしょ」
 あの子は全部わかっている。
 開発の技術には長けていても、常に資金難が付き纏っていた。その上、業界全体の技術革新も進み、職人たちの高齢化と相まって、星崎工業所には逆風が吹いていたのだ。
 夕子は、女の武器を使うことも厭わなかった。
 枕営業と揶揄するものもいたが、決して一線だけは超えることはなかった。それでも夕子程の美形なら、食事をしたりお酒の相手をしたりするだけで幾ばくかのお金を借り受けることに成功していた。
「まあ、勿体ない気もするんだけどね」
 T自工は特許の買取に二十億円の値を付けていた。それだけあれば、溜まった借金を全額精算してもお釣りが来る。
 一時は倒産も視野に入れていた夕子だったが、山吉興業鰍ニの資本提携により最大の窮地だけは乗り切っていた。裏社会との繋がりも噂されていた山吉興業だが、それも過去のこと。銀行の与信調査では、豊富な資金量を持つ安定株とされていた。
 幹部社員たちの意見は、せっかくの特許を手放す必要はないと言う方向に傾いていた。
「だったら尚更ですよ。この話、壊れちゃってもいいんでしょ」
 あの子の笑顔が不気味だった。
 話が壊れるようなことを、社長である夕子にさせようと言うのか。
「ねえ。どういうつもり?」
 社長の威厳を取り戻そうとする夕子だが、
「そのままですよ。社長もやってみたいんでしょ。ノーブラ・ノーパンですよ」
 当然のことのように小首を傾げるあの子。
「大事な取引先に下着なしで出向くなんて……」
 妄想をしたことはある。自分に露出癖があると認めているわけではないが、ベッドの中では何度、肉の芽を摘まんだことか。
 下着なしでの外出。いや、それ以上も。
「でも社長は、あたしの命令に逆らえないんですよ」
 そう。夕子は逆らえない。
 いつからこうなってしまったのか。むしろ、今まで命令されなかったのがおかしなくらいだ。
「わかったわ」
 夕子は、元々、あの子が苦手だった。特に理由があるわけではないが、何もかも見透かされている気がする。夕子の恥ずかしい妄想も、すべて覗かれている、そんな気がしてならない。
「それじゃあ、着ていく服をご用意しますね」
 社長室には、夕子専用のウォークインクローゼットが備え付けてあった。自宅からは私服で出社し、TPOに合わせて、ここで着替えていたからだ。
 六畳程のクローゼットに数々の衣装が並べられていた。男にプレゼントされながら、箱を開けずに積み重ねたままの物もあった。
「下着を脱いで、待っていてくださいね」
 あの子は簡単に言うが、それを実行すれば夕子は全裸で待つことになる。
 等身大の姿見に映る夕子のヌード。
(いやらしい身体……)
 八十八センチ・Eカップの豊満なバストにくびれたウエスト。白桃のような臀部は、二十代の女性にも決して引けを取らない。だがそれは、資金繰りのために磨き上げた姿態と言っても過言ではなかった。不特定多数の手垢に塗れていないだけで、淑女のそれとは大きくかけ離れて見えた。
「いつまで、こんな恰好にさせておくの」
 社長室のクローゼットだ。誰もが無暗に開けるものではないが、職場であることには変りがない。ハダカでいる場所ではなかった。
「はーい、もう少しです」
 わざとやっているのだろうか。
「早くしてね」
 夕子は、姿見の中の裸体から目を逸らした。

        ◇

 午前十時の約束だった。T自工を訪問した夕子の出で立ちは白のスーツに薄いベージュのブラウス、タイトスカートは膝丈だ。年齢相応の落ち着いた外見と言って良いだろう。ただ一つ、下着を着けていないことを除けば。
 さらに夕子を不安にさせているのがストッキングだ。あの子が選んだストッキングはパンストではなく、ガーターベルトで吊るタイプのものだった。
 スカートの中に吹き込む風が女の最も敏感な肌を撫で、下半身に何も着けていないような錯覚を呼び起こした。
「星崎社長にお会いできるだけで生きて来た甲斐がありますよ」
 T自工の担当者・堀田の笑顔には下心が透けて見えた。決して愉快なものではなかったが、夕子は慣れっこだった。
「こちらこそ。あなたは私たちの救世主です」
 いつもなら顔色一つ変えずに応対するところだが、今日の夕子は事情が違う。ノーブラの胸元が気になり、ノーパンの腰回りが気になる。スーツを着ているのだから、万が一にもバレる心配はない筈なのだが。
 ノーブラの上半身は、ただの錯覚では済まなかった。ブラウスの裏側が乳首に擦れ、いつもとは異なる刺激を与えていた。男性の愛撫とは明らかに違う感触だが、それでいて官能の先端を確実に責めてくる。今ブラウスを脱げば、無様なくらいに乳首を勃たせていることだろう。
 微妙な変化は堀田にも伝わったようだ。
「今日はまた一段としおらしいですね。まるで少女だ」
 両手を広げて大げさなポーズを見せる堀田。夕子の後ろで、あの子は笑いを堪えているのだろう。その仕草が見えるようだ。
「は、はい……」
 新人の女子社員でも、もう少しまともな対応をできるのではないだろうか。
 工場内を案内されている間、T自工の社員の視線が夕子に集まっていた。ただでさえ女性の少ない職場なのだ。そこへ絶世の美女が現れた。理由はただそれだけなのだが、下着を着けていない夕子にとってはそれだけで済まされない。衣服の下を透過されているような恥ずかしさに身を堅くするのだった。
「今日は体調でも悪いのですか」
 堀田の勘違いに感謝しつつ、結局、込み入った話をすることもなく、その日の打合せは、文字通り顔見せ≠セけで終わった。
 堀田に見送られてT自工を出た夕子だが、もっと時間がかかると思い社用車を返してしまっていた。
「帰りは電車ですね」
 嬉しそうに笑うあの子だった。最初からそのつもりだったのだろう。
「タクシーを拾うわ」
 当てが外れて不機嫌な顔をすると思いきや、
「いいですよ。その代り、タクシーに乗ったら上着は脱いでくださいね」
 まさかの反撃だった。上着を脱ぎブラウス一枚になったら、ブラジャーをしていないのが運転手にバレてしまうに違いない。痛いほどに勃起した乳首が、内側からブラウスを持ち押し出していた。
 夕子は迷った。ノーブラ・ノーパンで電車に乗るか、覚悟を決めてタクシーにするか。
「どっちでも良いですよ」
 あの子は楽しそうだ。何か企んでいるのだろうか。
 それならば、
「タクシーにするわ」
 その方が、被害が少ないと夕子は考えることにした。
 それにしても、T自工を出てホッとしたのも束の間、あの子はまだ夕子を解放してはくれないようだ。
「いつからそんなイジワルになったの」
 恨みがましい目を向ける夕子に、
「社長の望みを叶えてあげているだけですよ」
「そんなこと……」
「ないことはないですよね。ずっと妄想していたんですよね」
「妄想だからいいのに」
「溜め込んでばかりいると、身体に悪いですよ」
 そうしている内にもタクシーが来てしまった。乗り込むと同時に上着を脱がされる夕子。
 ベージュのブラウスは薄手で、乳首が透けているのが見て取れた。
「胸を隠していたらおかしいですよ」
 耳元で囁くあの子。確かにそう通りなのだが。
 夕子は、せめてもの抵抗に背中を丸めて前かがみになり、少しでも胸元の生地を弛ませようと努めた。
「あっ、それじゃあ上着を脱いだ意味がないじゃないですかぁ。せめて普通にしていてくださいよぉ」
 運転手さんにバラしちゃいますよ、とあの子が囁く。夕子の挙動が不審なのは間違いない。ルームミラー越しに運転手と目が合った。すぐに逸らした運転手だったが、何か気付いているのは明らかだ。
(バラされないためよ。運転手だってこっちをジッと見ている訳にはいかないし、ミラー越しだから大丈夫。透けて見えはしないわ)
 夕子は、自分を無理やり納得させ、上体を起こした。後部シートの背もたれに身を任せると、肩の力を抜いていった。
「そうそう。それでいいんです」
 運転手がまたバックミラーを覗いた。反射的に身を強張らせる夕子だったが、リアクションを起こせば怪しまれるだけだ。ブラウスの裏地に乳首の先が触れもするが、まだ多少は余裕があった。
(知らん顔していていれば大丈夫)
 そう言い聞かせる夕子だが、内心は乱れに乱れていた。
 なんでこんなことをしているのだろう。
 わかっている。あの子に命令されたからだ。
 そうでなければ、素肌の上にブラウスだけを着こみ、外出などするわけがない。
「そんなに緊張することありませんよ」
 笑いながら言うあの子の神経も理解できなかった。
 だが、あの子を睨みつけている場合ではない。夕子は身体を堅くするばかりだった。Eカップのバストがたった一枚の布きれに隠されている事実をタクシーの運転手に悟られないように。
 タクシーが街の中心部に差し掛かった。ショッピングモールの入り口が見えた。直線で二百メートル程の繁華街を抜ければ会社は目の前だが、歩行者専用道路になっているため、タクシーは大きく迂回しなければならない。
「あっ、ここで降りましょうよ」
 突然、あの子が言い出した。
 ここまで来れば、会社まで歩いてもたいしたことはない。タクシーから降りれば上着を着られる、それだけを頼りにタクシーを降りる夕子。
 昼休みを間近に控えた繁華街は大勢の通行人で溢れていた。
「上着、着ちゃうんですか」
 不服そうなあの子だったが、
「当たり前よ。ノーブラで人混みなんか歩けないわ」
「ノーパンも、でしょ」
 そう言って煽るあの子だった。
 上着を着ていればノーブラの胸を隠すことができる。膝丈のスカートではノーパンがバレることはない。それは会社を出る前に何度も確認して来た。
「早く帰るわよ」
 十二時を過ぎればランチに出る人が増えるばかりだ。
 夕子は先に立って歩き出した。すぐにタクシーを降りてしまったことを後悔した。この道は、毎日、通勤に使っている道だ。顔見知りと出会う可能性も高い。こんな姿を見られたら、何と言い訳をしたら良いのか。
 胸元と腰回りに意識が集中していく。すれ違う人たちの顔は見ないようにした。
 ショッピングモールの半分くらいまで来た時だった。夕子は路地裏へと連れ込まれた。
「ブラウスのボタンを二つ外してください」
 あの子の目が怖かった。こうなると蛇に睨まれた蛙だ。言われるがままにボタンを外す夕子。胸の谷間まで露わになった。ブラジャーによっては、脇からカップが覗いていたかもしれない。
「こんなのムリよ」
 夕子の言葉は無視された。
「スカートも腰で折り返してくださいね」
 丈を短くしろというのだ。あの子のOKが出るまで折り返すと、膝丈のスカートが膝上二十センチになっていた。
「ウソよね。こんな恰好で人混みを歩くなんて」
「上着は着てるじゃないですか」
「だって……」
 夕子は、クローゼットの姿見に映った自分の姿を思い出していた。
 下半身はガーターベルトで吊ったストッキングだけ――ノーパンであることを殊更に強調した姿だった。
「予行演習だと思ってくださいよ」

 予行演習って、一体、何の……?

 その問いは、言葉にならなかった。
 聞くのが怖かった。聞いてしまったら終わりだと、耳元で警鐘が鳴っていた。この場はあの子と言う通りにするしかない。その方が無難だ。そうすれば最悪の事態だけは防げるのだと。
「わかったわ」
 夕子は両足を引き摺るように歩き出した。
 その手の小説のヒロインが、今の夕子と同じような格好で街中を歩かされているのは知っていた。もっと過激なシーンも読んでいた。
 だか、それらはすべて物語の中でのことと信じていた。
(こんな恥ずかしいマネをする女性なんていないわ)
 自分は、なんて恥ずかしい行動をしているのか。夕子は気の遠くなるような羞恥と自責の念に責められていた。
 後ろから、あの子の声がした。
「胸元を押えたら、もう一つボタンを外して貰いますよ。スカートの裾を押えたら、もう一回腰で折り返して貰いますからね」
 これ以上、恥ずかしい格好にしようと言うのか。
「それとも、上着を脱いで貰いましょうか」
 楽しくて仕方がないという様子が言葉に出ていた。
 すれ違う群衆の視線があからさまに変化していた。視線だけでなく首を向ける男性。中には立ち止まる者までいた。
 恥ずかしげに顔を背ける女性はまだ良い。敵意と侮蔑の視線は胸を刺した。
 逆の立場だったら、と夕子は考えた。
 若い女の子が肌を露出しているのなら若さゆえと見過ごすこともできるだろう。が、夕子と同じ年代の女性なら話は別だ。いい歳してはしたないと軽蔑するだろう。
 若い子からみたら痛い≠ノ違いない。
 だがそれは皆、夕子にとって、二次的な苦痛でしかなかった。
 夕子は単純に恥ずかしかった。
 身体の恥ずかしい部位を露出しているわけではない。服だってちゃんと着ている。ただ少し胸元が開いているのと、スカートの丈が短いだけ。
 夕子の歳でもこれくらいはいる――と思いたい。
 但し、下着を着けていればの話だ。
 いつも肌に直接着けている物だけに、着けていない感覚からは逃れられない。あの子の言うノーブラ・ノーパン≠フ異常さが羞恥となって夕子を苦しめる。
 ショッピングモールの残り百メートルが、一キロにも十キロにも感じる夕子だった。
 意識が宙に浮いて行く。
 視界が定まらない。
 私を見ないで。
 一分でも一秒でも早く、繁華街を抜け出さなくては。
 ブラウスもスカートも、その上にブレザーまで来ているのに、こんなに恥ずかしい思いをするなんて。
 これがもし全裸だったりしたら……

《無一文の素っ裸で繁華街に放り出されるのよ》

 小説の一文が脳裏に甦る。と同時に下腹部の温度が急激に高まり、その熱が脳天まで駆け上がった。
「あっくぅぅぅ……」
 意識が持って行かれそうになり、慌てて首を振る夕子。
 短くしたスカートの内側で、女の秘苑が濡れそぼっているのがわかる。欲情を一杯に含んだ蜜汁が今にも溢れ出しそうだ。
(ダっ、ダメよ、こんな時に)
 いつもであれば下着に染みを作るだけで済む。だが、今の夕子にそれはない。漏れ出した蜜汁を防ぐ用意はされていなかった。
「あれっ、濡らしちゃったんですか」
 あの子が耳元で囁く。わかっているくせに、と横目で睨む夕子。
「仕方がないじゃない。そういう体質なんだから」
「体質のせいじゃないでしょ」
 あの子の目は「正直に認めなさい」と言っていた。夕子が露出で感じるマゾなのだと。ノーブラ・ノーパンで街中に出てアソコを濡らしている変態なのだと。
「そんなこと……」
「ないって言うんですか。だったら確認してみましょうか」
 今ここで大股を開いて見せろと言うのか。
 見なくてもわかる。夕子の内股に潜む皮肉は真っ赤に上気し、秘孔から溢れ出した蜜汁でグチョグチョになっていることだろう。
 それでも尚、分泌を続ける秘孔。それを制御する術を持たない夕子。
「やめて、止めて。それ以上……」
 言わないで、との願いは言葉にならなかった。内股に滴り落ちる熱い滴を感じたからだ。
 恐れていたことが現実になった。
 あの子の言う露出=Aマゾ=A変態=Bそれらのどれに反応したのかわからない。あるいはすべてかもしれない。夕子の秘苑から溢れだ蜜汁が、重力に従って太ももを這う。それはもう押えようもなかった。
「も、もうダメぇ。ああぁああああああああぁぁぁぁ……」
 薄れていく意識……

 気が付くと夕子は、ショッピングモールに両膝を突き、蹲っていた。
「大丈夫ですか」
 見知らぬ女性に声を掛けられた。他にも、通行人の何人かに囲まれていた。
「ええ、大丈夫です」
 夕子は立ち上がった。
「救急車を呼びましょうか」という人たちにお礼を言うのも恥ずかしかった。
「何でもありませんから」
 火照った身体を、滑り切った女の園を、周囲の女性たちに悟られるわけにはいかない。会社がすぐ近くであることを説明し、丁重に何度も頭を下げ、心配してくれた人たちからも逃げ出すように歩き出した。
 周囲を見回す夕子。見える範囲にあの子の姿はない。
(肝心な時に、いつもいないんだからぁ)
 ショッピングモールを抜けると、服装を整えながら二十メートル程の橋を渡る。堤防沿いに星崎工業所の屋根が見えた。


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