第12話 奴隷秘書
動画の女性は身体をくの字に折り、両手で女の恥部を少しでも隠そうと身を揉みながら歩いていた。どこへ行くと言う当ても無いのだろう。身の置き所が無いと言った様子がありありと出ていた。
「それってつまり、この人は郷原さんの秘書さんってことですか」
言葉にするまでもない。あの日、星崎工業所の会議室で全裸にされ、郷原の肉塊を口に含まされたあの女性だ。
夕子は、手元の首輪と動画のそれを何度となく見比べている内に、動画の女性が何か言っているのに気付いた。
「ああ、それ出てましたよ。ほら、ここに。『次はあなたの番よ』ですって」
何でもないことのように言うあの子。
動画の女の言うあなた≠ニは、夕子のことに違いない。
郷原の準備とはこれだったのか。
だが、この行為が何の準備になると言うのだろう。夕子は、ネットの記事を追いかけた。
何のことはない。最初の記事の二ページ目に書いてあった。
繁華街を全裸で歩いた女性がどうなったのか。
普通ならわいせつ罪に問われるところだ。ところが、女性はある男性と契約を結んでいた。《契約自由化法》に基づく契約だ。詳細は記載されていないが、その契約により女性は警察に逮捕されることはなかった。保護の形でパトカーに乗せられたらしい。
女性のコメントも出ていた。
『あの男に何もかも奪われました。でもこれで私は自由です』
そういう契約だったのだ。
実名は伏せてあったが、あの男≠ェ誰であるかは明白だ。
これは郷原からのメッセージなのだろう。夕子もこうやって、ハダカで放り出してやる、最後の砦など、簡単に攻め落としてやる、と。
――奴隷秘書に近く欠員が出そうなんでな
二人の内の一人を、こうした形で捨てる。よって欠員ができる、ということか。
夕子は、背筋の震えが止まらなかった。
郷原も《契約自由化法》の件を知っていた。その上で、公序良俗違反による契約の無効に対抗する手段は講じてあると見せ付けているのだ。
「社長。しっかりしてくださいよぉ」
しっかりしたいのはヤマヤマだが、この状況がそれを許さない。郷原からも「しっかりしろよ」と言い返されてしまったようだ。
「拙いわ。このままでは……」
夕子の目には、動画に映っていた女性の姿が自分の未来になっていた。
「だから社長。落ち付いてください。露出症ではないという診断書が出るんでしょ。《契約自由化法》対策だって、社長の方が一歩進んでいるんですよねぇ。さっき病院に行って来たばかりじゃないですか」
そうだった。
「診断書。そうよ、診断書さえあれば」
夕子は病院へ持って行ったバッグを引っ掻き回し米倉クリニックの広告を探したが、病院のゴミ箱に捨ててしまったことを思い出した。タブレットでの検索に切り替えた。幸い、すぐに見つかった。
早速、電話を掛ける夕子。呼び出し音が苛立たしい。
(お願い、早く出て)
繋がると同時に『米倉クリニックです』と言い終わるのも待たず、
「診断書をお願いします」
『はい……?』
「診断書ですよ。さっき頼んで行ったでしょ」
『申し訳ございません。どちら様でございますか』
「だから……」
夕子は、焦っている自分にようやく気付いた。今のやりとりでは、何も相手に伝わらない。落ち着かなくてはと思いはするのだが、
「ごめんなさい。星崎です。星崎夕子。えっと、先生は……」
美倉≠フ名前が思い出せなかった。あの子と話している時はさんざん使っていた筈なのに。焦れば焦る程、何も出て来ない。
『本日、受診なされた星崎夕子様ですね。美倉先生にお繋ぎします』
受話器から保留が流れた。
待たされている時間が辛かった。
夕子は、あの子の方を見ないようにした。見ればいつものように、あのニタニタとした目でこちらを見ていることだろう。
それよりも何よりも、今は診断書だ。それが無ければ郷原の思い通りになってしまう。動画の女性のように、全裸で街に放り出されてしまう。
――次はあなたの番よ
あの女性の口元が、夕子の脳裏に焼き付いて離れなかった。
『お待たせしました。美倉です』
今日、初めて会った相手なのに、別れてからまだ数時間しか経っていないのに、何年振りかで聞く旧友のような懐かしさを覚えた
「先程はお世話になりました。それで早速なんですが、診断書を頂きたいのです。私が露出症ではないというその……すみません。無理は承知しているのですが」
『どうかなされましたか』
「はい。ちょっと急に必要になってしまったものですから」
診断書は来週になると、診察の際にはっきりと言われていた。初診で、コネも紹介状もない相手だ。わがままな患者と思われてしまうだろう。
が、今は後回しだ。診断書を貰った後なら、何とでもお詫びしよう。
『先程もご案内致しました通り正式なものは来週になってしまいます。私個人の診断書であればすぐにでもお書きしますが』
「それでいいです」
正式なもの≠ニ私個人の診断書≠フ違いが、夕子には理解できなかった。
『取りに来られますか。お急ぎでしたらメールでも送れますが』
少し迷ったが、
「取りあえずメールでお願いします」
発行の日付が今日になっていれば、原本は後でも構わない。午前中に仕事を一度抜け出しているのだ。もう一度外出する訳にはいかなかった。
『かしこまりました。三十分以内に送らせて頂きます』
「ありがとうございます」
『そう言えば、澤野先生がお会いしたがっていましたよ。お知り合いでしたか』
胸を突く何かを覚えた。
「えっ。は、はい。そのようです。私の方は覚えていないのですが」
『そうですか。澤野先生は露出症についても独自のお考えをお持ちでして、露出症は根治できない。唯一の治療方法は露出症の解放である≠ニの立場を取られています……まあ、星崎さんには関係ないですね』
受話器を置く夕子。
露出症の解放≠ニ言う言葉が気になったが、取りあえず気持ちが落ち着いて来た。
フル回転を始める夕子の大脳。
診断書さえ手にすれば、たとえそれが後に否定されるようなことになっても、心療内科の医師の発行した診断書を否定するにはそれだけの根拠が必要になる。検査も必要だろう。時間が掛かることは間違いない。最悪、手形の決済日前に検査を受けなければ良い。受けたところで、また同じ結果――夕子は露出症ではない――になるに違いない。
(大丈夫。最後の砦は安泰だわ)
その結論が出るまで、そう時間は掛からなかった。
「落ち着きましたか」
あの子が声を掛けて来た。以前から、こういうところのタイミングは心得ていた。時々、夕子が恐ろしくなる程に。
「ええ。心配かけたわね」
ついさっきの醜態を恥じる夕子。
そう言えば、この件に限らず、夕子があの子の前で見せた醜態が外部に広まったことはない。お気楽に見える外見に反して、案外、秘書としては優秀なのかもしれない。
そう思った夕子は、
「ねえ、私が社長辞めたら、この会社はどうなると思う」
少なからず、期待を込めた質問だったのだが、
「そんなの私にわかる訳ないじゃないですかぁ」
聞かなければ良かったと思う夕子だった。
◇
美倉医師からメールが届いたのは、それからぴったり三十分後だった。診断書はPDFファイルの形式で添付されていた。
早速印刷する夕子。そこには、夕子の欲しかった一言が記されていた。
『診断の結果、あなたを露出症ではないと認めます』
美倉医師の署名と印鑑が押されていた。メール本文には、原本は別途郵送すると書かれていた。取りあえず、これで一安心だった。
夕子は内線で細井を呼んだ。
簡単な報告なら、夕子は社長のデスクに座ったまま聞くのだが、今日は来客用のソファを勧め、夕子も対面に座った。
「午前中の診断結果です」
夕子は、ソファテーブルに診断書を広げた。
「これを取りに行っていらしたのですね。でも良かった。これで最悪のケースは避けられます。と言っても、手形が落ちてしまえば何でもないのですが」
細井は、診断書を手に取って言った。夕子は同意を示した後、
「ところで、例の件は調べて頂けましたか」
先日、頼んだもう一つの懸案事項についてだ。
「はい。郷原コーポレーションですが、業績が順調であるばかりでなく、郷原氏個人としても二十個以上の特許を取得しています。中には、わが社の水素吸蔵合金に匹敵する物もいくつかあり、特許のライセンス料だけで億単位の収入があるようです」
夕子は、郷原の会社と、郷原自身の人となりについて調査して欲しいと依頼していたのだ。細井も、その意図を察していたらしい。
「社員の間でも郷原社長の評判は良いようです。関連会社からも悪い話は聞きません。仕事ぶりについては問題が無いと言うより、むしろ有能な人材です。人の使い方も上手く、人望もあるようです。山吉興業との縁で財界にも太いパイプができたようで、まずは順風万端と言ったところでしょうか」
星崎工業所にいる時に開発した製品やプロジェクトを見てもコンセプトが明確で、将来を予見する物であることは、幹部社員の誰もが知っていた。
そんな郷原ならば……
「奴隷秘書については?」
郷原に人望があるというのは意外だった。あのような女性たちをはべらせている郷原の評判が良い訳がないのだが、
「彼女たちは、元々、郷原氏のプライベートのお知り合いです。郷原コーポレーションと雇用関係はありません。会社の行事に出ることもありませんが、社員は全員、社長とそういう関係にあることは承知しています。厳密に言えば公私混同でしょうが、社員たちには受け入れられているようです」
奴隷秘書たちを忘年会の席に連れ出し、男性社員と野球拳をさせてハダカにするようなことも珍しくなかったようだ。奴隷秘書の二人も、ある程度は覚悟していたと言うか、諦めていたと言うか、それなりに楽しむ術も覚えていたと言う。それがさらに二次会三次会ともなれば、
「女性である社長の前で口にするのは憚られるようなこともしていた、という噂もございます」
「何だか羨ましそうですね」
夕子は、細井が女性といかがわしいお店に出入りしていた事実を思い出した。
「そんな滅相もない」
真面目に答える細井。
「女子社員が黙ってないのではないですか」
「それがそうでもないのです。女子社員の中には、自分から野球拳に参加して脱ぎだす子もいたそうです。それどころか、自分を奴隷秘書にして、と願い出る者もいるとか。もちろん酒席での冗談ではありますが」
女子社員からも一応のコンセンサスを得ていると言う訳だ。
(みんな、あいつの本性を知らないから)
もっとも、先日のように奴隷秘書を余所の会社へ連れて行き、ハダカにするようなことは初めてだったらしい。
今回で前例ができてしまったが。
もし夕子が郷原の奴隷社員になったら、社員全員の前で野球拳をやらされたり、訪問先で着衣をすべて脱がされ、郷原の男根をしゃぶらされたりするのだろうか。
「郷原憲三の趣味は取引先でも知れ渡っているようで、彼の個性の一つとなっています。それが縁で広がる付き合いもあるようです」
下手に隠さず、堂々としている方が信用を得られるということか。
細井は、その他にも調べて来たことを報告した。まとめると、郷原は非常に有能に男で、社員にも取引先にも信用がある。それだけ大切にしているということだ。
先日、ここの会議室で見せたような傍若無人な態度は、どこからも聞こえて来ない。夕子の前でだけ見せる爬虫類のような目つきも以下同文だった。
「この件は、他の役員も知っているのですか」
夕子にとっては、ここからが問題だった。
「はい。知らせてあります」
「それで皆さんの反応はいかがですか」
細井は、少しだけ戸惑う表情を見せたが、
「元々、郷原という男を知っている者たちですからね。悪い印象はございません。この前の振る舞いだが異常で、何か別の意図があってのことだろうと言っています」
「別の意図ですか」
「はい。社長のお気づきとは存じますが」
もちろん、夕子はわかっていた。
――素っ裸にして表通りに放り出してやる
郷原はそれが言いたかったのだ。自分を会社から追い出した夕子に復讐するために、究極の羞恥を味わわせてやろうと言うのだ。
「よくわかりました」
夕子は、必死の思いで身震いを押さえ続けた。
「社長が何をお考えか存じませんが、決して無理をなさいませんよう」
「わかってるわ」
「それならよろしいのですが」
細井の気遣いがありがたかった。やはりこの人は、夕子の思いを誰よりも理解していると感じ取れた。
「最後にもう一つ教えてください」
夕子は一つ息を吐く。細井が何事かと構えるのをわかった。
「両親の事故の件です。私の知らないこと、何か隠していますよね」
「さて、何のことでしょうか」
「今日、澤野真知子さんと言うお医者様にお会いしました。澤野先生がどなたかと電話しているのを聞いてしまったんです。郷原さんが可哀想だ≠ニおっしゃっていましたが、どういう意味でしょうか」
細井の表情に何らかの反応が見えた。あるいは澤野真知子≠フ名前に反応したのか。それとも、郷原の方か。
「他人の感情まではわかりかねます。申し訳ございません。まだやらなければならないことがございますので、今日のご報告はこれで失礼します」
細井は立ち上がると、そのまま踵を返した。
夕子は止めようとしなかった。
「社長の聞き方が悪かったんですよ」
あの子と二人になると、そんなことを言い出した。
「どういうことよ」
「澤野先生の話として聞くから、他人の感情って逃げられたんです。最後まで何か知っていることはないかと尋ねたら、もしかしたら話してくれたかもとれませんよ。そんな顔つきでした」
あの子の言うとおりかもしれない。
「そうね」と言いながら、夕子は例の記憶を呼び起こしていた。夕子がいる筈のない事故現場で郷原の運転する車がトラックに突っ込む場面を。
真相を聞きたくても両親はいない。
第一発見者でこそないが、細井もかなり早い段階で事故現場に行っていた筈なのだが、回答を拒否されてしまった。何かの意図があって隠している。細井の今の態度を見て、それが夕子の確信となった。
澤野真知子に聞いたら、話してくれるだろうか。
「真相を知っている人がいるじゃないですか」
そう。一人いる。
あの日、あの現場にいて、今現在、その状況を話せる人物が。
「郷原憲三……」
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