『地下鉄はハダカで』
彼は今度、わたしをハダカで電車に乗せてやると言うのです。
彼とお付き合いをするようになって半年が過ぎました。友達もいない東京での一人暮らしを慰めてくれたのが彼だったのです。彼は二つ年上ですが、年の差以上にわたしをかわいがってくれます。わたしにとっては、かけがえのない人になっていました。
いつでしたか、彼と待ち合わせた駅前広場でのことです。
映画でも見ようと歩き始めたところで、彼の友達ふたりと鉢合わせしました。彼と話をしながらも、そのふたりの視線がわたしに向けられているのを感じました。彼の背中に隠れると、その内のひとりが言いました。
「なんだ、お前の彼女マゴギャルかよ」
彼は否定も肯定もしませんでした。本気で言っているのではないとわかっていたからでしょう。でも、わたしははっきり言って欲しかったと思います。これでもれっきとした短大生ですって。
なのに彼は、上機嫌で友達との会話を楽しんでいます。
そしていつかブロンズ像の話になりました。以前は広場の中央に女性の裸体を象ったブロンズ像が置かれていたのですが、なぜか今でははずされて台だけが残っています。それを指さした彼は、
「台だけじゃ殺風景だから、代わりに由紀がハダカになってあの台に乗ると言うのはどうだい?」
友達の前でのポーズだったのでしょう。
でも、その時のわたしには通じませんでした。駅前広場は大勢の人が行き交います。そんな場所で、彼の友達ふたりの目の前で、わたしは、ハダカになった自分を想像してしまったのです。それだけで恥ずかしさが急激にこみ上げました。
「いやよ。そんなこと」
わたしは、駅前広場の真ん中にしゃがみこみ、泣き出してしまいました。
「冗談だよ。本気なわけ無いだろう」
彼は、本当に軽い冗談のつもりだったのでしょう。わたしの反応が余りにも強烈だったので慌ててしまった、と言っていました。でもそれ以来、彼はそんなわたしの恥じらいを楽しむようになりました。
そして、少しずつエスカレートしていったのです。
わたしは、全裸の上にコートを羽織り素足にサンダルという姿で、彼と一緒に電車を待ちます。
地下鉄のプラットホームには、時折冷たい風が吹き込んでいます。それがコートの裾に戯れる度に、わたしは身の縮む思いです。唯一身につけているコートは袖を通すことも許されず、前のボタンも一つとしてはめさせて貰えないからです。
わたしがただ両方の手でコートの内側から、しっかりと体に巻き付けているだけなのです。こんな格好で人前に出るだけでもどんなに恥ずかしいか、彼には分かっているのでしょうか。
でも、彼はもっととんでもないことを計画しているのでした。
それまでにもいろいろとわたしを辱める企てはありました。でも、実行したことはありません。わたしをハダカにして電車に乗せるという計画だけが、冗談ではなかったようです。最初にそれを聞かされた時には、さすがに耳を疑いました。
「いやよ。わたし、そんなことできない」
そう言って哀願するわたしの様子を楽しむように、彼は一人で計画を練っています。
「場所は○○線の××駅にしようか」
そこは、わたしの学校の最寄り駅です。彼もそのことはよく知っています。
「あの駅は乗り降りが激しいのよ」
「あまり混んでいると、由紀のハダカが近くの人にしか見えなくてつまらないかな?」
「意地悪。クラスメイトにあったらどうするの?」
「その時は着るものを貸してもらえばいい」
彼の答えは、わたしをより恥ずかしくするばかりです。
同じハダカになるにしても、ストリーキングのように一瞬で駆け抜けるのとは違います。狭い電車の中では衆人監視の羞恥にじっと耐えるしかありません。要するに彼は、わたしを全裸のまま、逃げ出すことのできない場所に晒そうと言うのです。
「変な人が近付いて来るかも知れないのよ」
「アダルトビデオの撮影だと言えばいいさ」
何とか思いとどまって貰おうとしたのですが、全く聞き入れてくれません。結局、彼に押し切られてしまったのです。
いよいよ決行の日がやって来ました。
まだ決心はついていません。彼が本気でこの計画を実行しようとしているのかさえ半信半疑でした。そんな気持ちとは関係なく、彼はうれしそうでした。「この日をどんなに待ちこがれていたことか」迎えに来た彼の顔には、そう書いてありました。
アパートを出る前に身体検査をされました。
「お願い。これで勘弁して」
ブラとパンティだけの下着姿でコートを羽織ろうとするわたしに、彼は全部脱ぐように命じます。
「せめてパンティだけでも許して」
わたしは、人一倍羞恥心の強い方だと思っています。ましてこの時のように、普通に服を着た彼の前でわたし一人ハダカになるのは、とてもつらかったのです。高鳴る胸の鼓動を抑え、やっとの思いでブラをはずしたと言うのに、
「どうしても脱がないのなら、そのまま連れて行くぞ」
そう言って彼は、パンティ一枚になってしまったわたしの手を引っ張るのです。このまま表に連れ出されるなんて考えられません。コート一枚でも、その方がはるかにましです。わたしは、仕方なくパンティを脱ぎました。唯一の救いは、彼の目を盗んで脱いだパンティをコートのポケットに忍ばせたことでした。
表に呼んであったタクシーに乗り、わたしたちは予定の駅へ向かいました。
素肌に直接触れるコートの感覚は、わたしがハダカであること自覚させます。でも、車の中では、彼がずっと抱いていてくれました。
わたしは体を預けました。彼がとてもやさしく感じられたのです。運転手さんは、そんなそんなわたしたちをどのように見ていたのでしょうか。
駅に着くと、わたしは先に降りて彼を待ちました。
わたしは、まだ迷っていました。駅前はいつもの様に人が大勢います。コート一枚の姿で街角に立っているのはとても不安でした。それなのに彼は、このコートさえわたしから奪おうとしているのです。
彼が降りて来なければ良いとも思いました。でも、ひとりでいる方が余計につらかったと思います。彼を待つ時間がとても長く感じられました。
一瞬彼が、わたしをここに残してどこかへ行ってしまうのではないか、と言う考えが脳裏を掠めました。だから彼が降りて来た時には、思わず走り寄ってしまいました。
彼の愛を失いたくなくて、とうとうここまで来てしまいました。
地下鉄の階段に吹き上げる風がコートの奥にまで入って来ます。自分がコートの下に何もつけていないと言う事実を、改めて思い知らされました。
そして、股周りを直接風に吹かれることが、こんなにも自分を心細くさせているのだと、初めて知りました。
わたしは、さっきポケットに忍ばせたパンティのことを考えていました。何とかして、彼に悟られないようにパンティを履いてしまおうと思ったのです。
「ちょっと、おトイレに行かせて」
ここまで来ては、もう後戻りはできません。彼は何も言わずに行かせてくれました。個室に入って中から鍵の掛かるのを注意深く確認しました。ボタンをしていないコートは手を離しただけで前がはだけてしまい、全裸のわたしが現れました。
(ああ、こんな格好で電車に乗せられるのね)
わたしは、急いでパンティを履いてしまおうと、コートのポケットに手を入れました。
するとどうしたことでしょう。パンティが無いのです。
さっき確かに入れた筈なのに。ここに来るまで、不安と羞恥にかられるわたしの大きな心の支えだったのです。ポケットの中のパンティはどこに行ってしまったのでしょうか。
パンティを探すためにコートを完全に脱がなければなりません。
いくら誰もいないトイレの中だとは言え、脱げば全裸になってしまいます。わたしには、やっぱりためらわれました。
それに、あまり時間を掛けると彼に疑いを持たれるでしょう。仕方がありません。諦めました。このことがわたしをより不安にしたのです。
それにしても、パンティは本当にどこに行ってしまったのでしょう。トイレを出たわたしですが、頭からは離れませんでした。
「探し物はこれかな?」
外で待っていた彼が差し出したものこそ、わたしのパンティでした。
驚いて取り返そうとしましたが、ボタンをしていないコートが肩から落ちてしまいそうで、思うように手を伸ばすことができません。
「こういうズルをする娘には、お仕置きをしなければいけないな」
彼はそう言って、ゴミ箱にわたしのパンティを捨ててしまいました。彼の方が一枚上手だったようです。
「御免なさい。もうしないから……」
「今度したら、コートもゴミ箱行きだぞ」
「ひぃー、それだけは勘弁して」
わたしは、あわてて謝りました。そんなことをされたら、ここからハダカで帰るしかなくなります。
「その代わり、今日はうんと意地悪するからな」
わたしにこんな格好をさせて人混みに連れて来るだけでは、彼にとって意地悪とは言わないのでしょうか。
「お待たせ致しました。一番線に〇〇行きの電車が参ります。後に下がって……」
いつもの聞き慣れた構内アナウンスが、この時ほど恨めしく感じたことはないでしょう。とうとう電車が来てしまったのです。
内側からコートを握る手に力が入ります。その時のわたしにとってこのコートがどれほど貴重なものだったか、皆さんには想像できるでしょうか。
「本当にやるの?」
わたしは、これが最後とばかりに目で訴えました。でも、
「さあ、来たぞ。あの電車には一体何人乗っているのかな?」
そうやって彼は、わたしの羞恥を煽るのです。わたしはもう耳たぶまで真っ赤に染めているのに。
「由紀のハダカを見られるなんて、運の良い奴らだな」
追い討ちをかけられて、わたしはこのまま消えてしまいたい心境です。この電車がそのまま通過してくれることを祈ったのですが……
電車が止まって、ドアが開きました。
わたしは、サンダルを脱いで素足で電車に乗ります。わたしの他に電車の床の冷たさを素足に感じたことのある人がいるのでしょうか。
反対側のドアに寄り掛かっていた男子学生が、裸足のわたしに気付いて不思議そうな視線を向けています。車内は空いている席も無く、立っている人も程々にいました。
こんなに大勢の人達の前でわたしはハダカにされるのです。
極度の羞恥と緊張のあまり両足はガタガタと震え、彼の手助けがなければ一歩も歩ける状態ではありませんでした。
(やっぱりダメ。わたしにはできない)
そう叫びたいのですが、声にはなりません。心臓は破裂寸前です。そんなわたしを、さらに彼は言葉でなぶりました。
「ハダカになったら、車掌に見付からない用にしろよ」
すでに発車のベルが鳴っています。そんなことを考える余裕などありません。
わたしには、彼の言っている意味が分かりませんでした。
彼は、電車が動き出したら「由紀の決心がついた時にコートを足元に落とせばいいからね」と言っていました。そして、床に落ちたコートは彼の手に拾われて、「よくやったね」と言う優しい言葉とともにわたしを包んでくれることになっていたのです。
コートがわたしの体から離れているのは一瞬の筈です。
その一瞬が、わたしにとってどれくらい長く感じられるのでしょうか。その時が間近に迫っていました。
でも、わたしにどうしても決心がつかなかったら、彼はそれ以上強制はしないだろうと思っていました。自分が今、この電車の中でハダカになるということが、とても現実のものとは考えられません。彼もきっとそうだろうと思いました。
「もし車掌に見つかったら、俺は先に帰るからな」
わたしは目の前が真っ暗になりました。どんなにつらく恥ずかしくとも、彼がそばにいてくれると思えばこそ耐えられると思っていたのに……。
不安と緊張にこわばった顔をやっと持ち上げて、彼の目を探すのですが、
「俺だって電車の中でハダカになるような変態女の知り合いだとは思われたくないからな」
(そんな、ひどい。ひどすぎる。)
「さっき俺に隠れてパンティを履こうとした罰さ。新聞に載るのは由紀の名前だけでいいだろう」
約束が違います。わたしは「もうやめよう」と思いました。彼が何と言おうと、このままタクシーを拾って帰ろうと決めたのです。
「わたし、帰る」
彼に告げようとしたその時、ドアがしまる瞬間のできごとでした。彼は、わたしの体からコートを剥ぎ取り、ひとりで電車を飛び降りてしまいました。
元々コートの下には何も身につけていなかったのですから、わたしは当然素っ裸=一糸纏わぬ姿で動き出した電車の中に置き去りにされてしまったのです。
窓越しにコートを手にした彼の姿が遠ざかって行きます。
そして、それもすぐに見えなくなって……。
わたしは自分の置かれた状況を思い知らされました。それは、とても現実のものとは思えない、最低のものでした。
彼の裏切りとも思えるこの行為を恨んでいる場合ではありません。乗客は、一斉に振り向いていることでしょう。立っている人の数が少ない分だけ、車内の見通しは十分です。
そんな車両の真ん中にオールヌードの女の子が現れたのです。
乗客のすべての視線を集めずにはいないでしょう。でも、電車の中にはわたしが身を隠す場所は無いのです。
わたしは片手で胸を隠し、もう片方の手をヘアーに当てて、ドアに体を押し付けていました。多くの視線を痛い程に感じながら、全裸の身を縮めていることしかできないのです。
そんなわたしにコートをかけてくれる筈の彼もいません。
わたしが裸身を晒すのは一瞬の筈だったのに、ここには何も着るものがありません。彼の目を盗んでパンティを履こうとしたばかりに、こんなにも残酷な仕打ちを受けることになるとは……
(わたしの羞恥心を、ほんの少し救おうとしただけなのよ)
でもそれが、極限の羞恥を味合わされる結果となったのです。
いったい何人の人に、この恥ずかしい姿を見られているのでしょう。その中にわたしを知っている人がいないという保証はありません。クラスメイトが乗っていたらと思うと、気が遠くなります。
これからどうなるのでしょう。わたしは今、何も身につけていないのです。生まれたままの姿を乗客の注視に焼かれているのです。
切符も持ってないし、ましてやお財布など論外です。全部彼が持って行ってしまいました。
一分でも一秒でも早くこの場所から逃げ出したいのに、ドアは固く閉じられています。仮に開いたところで、走り出してしまった電車の中ではどうにもなりません。少なくとも次の駅まではハダカのままでいるしかないのです。それがどんなにつらく恥ずかしくとも。
わたしにはもう何も見えませんでした。
「ねえ、ママ。あのおねえちゃん、どうしてハダカなの?」
無邪気な子供の声も、時として残酷なものです。
回りの人たちは、どんな目でわたしを見ているのでしょう。
「露出狂」
「変態女」
そんな言葉が聞こえて来るようです。
それらの好奇と侮蔑の視線が無防備の肌を刺します。わたしは一刻も早く駅に着くことを祈りました。
でも、駅に着いたからといって、わたしに何も着るものが無いという状況が変わるわけではありません。
彼がコートを持って待っていることも不可能です。
わたしは降りたホームで、彼を待っていなければならないのでしょうか。
次の電車で、彼は迎えに来てくれるのでしょうか。
こんなに恥ずかしい思いをさせた人でも、何も身につけていないわたしが家に帰るには、やはり彼に頼るしかありません。
だから、わたしはその場にしゃがみこむこともできませんでした。
彼から「ハダカになっても絶対にしゃがみこんではいけないよ。この言い付けを破ったら帰りはコートを着せてあげないからね」と、堅く言われていたのです。
もし、あのまま彼が帰ってしまったなら、わたしはどうしたら良いのでしょう。
反対行きの電車に乗って、元来た駅に戻った方が良いのでしょうか。
でも、そうするには、降りたホームを走って階段を昇り、改札口の前を通ってもう一方の階段を駆け下りなければなりません。
電車がすぐに来なければ、ホームで待っていなければなりません。
わたしはそれらすべてを、まるハダカのままするしかないのです。電車の中ばかりか、プラットホームにまで裸身を晒すことになるのです。
いったい、どれだけ多くの人たちに、この一糸纏わぬ姿を見られることになるのでしょう。彼はそこまで考えていたのでしょうか?
わたしの妄想がひとり歩きしてしまったようです。
こんなことが現実に起こるわけないのに。
彼は、今日もまたわたしの部屋に来て、自分の計画を聞かせていきました。来る度に話が飛躍していくようです。
「もしうまくいったら、次は全裸のまま両手を吊り革に縛りつけて山手線一周だな」
そう言って、わたしの顔をのぞき込みました。そんなことをすれば、彼だって無事で済みません。きっとからかっているだけだと思います。
でも、いつか現実になりそうな予感が……
(おわり)
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